2014-03-13

聴いてもらうために、注目してもらう。で、注目してもらうためには?

 最近、現代のベートーベンや、細胞の論文の方とかのニュースを見て、サンレコの10月号でナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが最新アルバム「ヘジテイション・マークス」のインタビューを思い出しました。
前作を自身のレーベルから無料ダウンロード配信して、今回メジャーレーベルから出した理由について。。。
インディペンデントという形で『スリップ』という作品を出せて良かったか?と問われれば、答えはイエス(中略)一方で難しいと感じたのは、注目してもらうために余計な演出やギミックに頼らざるを得なくなっていくということ。そうなってしまうと結局は音楽自体ではなく、派手なことをやらなければ人目を引けない。(中略)『スリップ』に関しては、俺のことを既に知っている人にしか届いていないという感覚があった。
音楽を作ったら、やっぱり誰かに聴いてもらいたいものです。多くの人に聴いてもらえたら、そりゃうれしいさ。ただ、とてつもなく素晴らしい曲なら別かもしれないけど、普通に曲を作っただけじゃ、日本全国の誰もが聴いてくるわけじゃないのね。そ・こ・で・演出やギミックが発生して、音楽そのものよりもアーティストの派手なストーリーってことになっちゃうのかなぁ。すべては自分の音楽を聴いてもらいたい、聴いてもらうために注目してもらいたい、そこが出発点だったんだと思うけど。俺も音楽やってたときは、聴いてもらいたかったもん。寂しいもんだよ、ライブハウスでお客さんの入りがスッカスカだとさ。だから、現代のベートーベンのあの人の気持ちもすごくわかるんだよな〜。たとえ1人でも聴いてくれる人がいれば幸せなことなんだけどさ、人って欲深いから、もっともっとってなっちゃう。いつのまにか音楽そのものは人にまかせて(もはや音楽家というより起業家だよね)手段問わずに成り上がっていったわけで、それに対する批判は山ほどあるだろうけど、無名で埋もれるよりなりふりかまわず有名になる方を選んだあの人の行動力は、いろんな意味ですごいなと思う。俺にはできない。できなかった。普通にライブやったりしてただけだもんね。今もおそらくできない。なんだかめんどうくさい世の中になったと思う。今、音楽活動してる人が活用しているtwitterやFacebookも、俺にはめんどくさい。おっと、話がそれたか。
 彼がまた音楽を発表すれば、きっと多くの人がそれを耳にするだろう。彼はすでに他人の興味をひくストーリーを持っているし、それは本人にとってはネガティブなストーリーかもしれないが、それによって、表現を人に届ける機会が生まれるだろう。それがちょっとうらやましかったりする。ホラを吹くことさえできない人は、ホラ吹きに憧れるのかな。

 STAP細胞の論文の方は、あれが音楽だったら、「オマージュ」「リスペクト」「サンプリング」いろんな言い方で成立してたかもしれないのにね。なんて意地悪なことを思ってみたりする。