昨日、小説家の阿刀田高さんのお話を聴きました。
http://www.sugi-chiiki.com/otonajukuren/content_disp.php?c=4d5f35f0d4dcf
実は小説のほうは全然読んだことはなくて。。。でも名前は知ってました。ユーモアについてのお話で、とても面白かったです。「ユーモア革命」という本も出されてるんですね。
まず最初に、ユーモアについて語るのは難しい、ユーモアや笑いについて話そうと(説明しようと)するとなぜか全然笑えない(ユーモアのない)話になってしまう、とおっしゃられて、まず、あぁこの人は信用できるなぁ、と思いました。
後半の、電車の人身事故の話で、電車とレールに挟まってしまった人をどう取り出すか、という部分をすごく楽しそうに話されてて、若干引いてる人もいるようでしたが、僕はむしろそこから引き込まれました(エグイ話を楽しそうに話す人って、面白くないですか?)。
僕が覚えているポイントをいくつか書いてみます。
●ユーモアとは?
笑いをとるとかそういう意味だけじゃなく、別の角度から物事をみることで現実を乗り越える力。何か悲しい出来事があったとして、それに埋没しているうちは乗り越えられない。ユーモアの例として、死刑囚が死刑執行の日、晴れた空をみて「今日は幸先がいいな」という。死刑が執行されるのに幸先も何もないのに、その事実に埋没していない。
●小説のパターンのお話
悩んだ末にある光景をみて、ああ自分はなんてちっぽけなことに悩んでたんだろう。。。という小説のパターンがあるというお話。例として志賀直哉「暗夜行路」。何巻にもわたって延々と悩みを書いて(書いてるうちは原稿料もらえるんだからそりゃすぐに悩みは解決しませんよ、なんて言って笑いをとってましたが)、最後にある場所というか光景をみてちっぽけな自分に気づく、というパターン。同じパターンに絲山秋子さんの「逃亡くそたわけ」(男女の逃避行的な話で、この男女が夜どうしているのか書いていない、渡辺淳一先生はそのへん全部書いてくれてるんですけどね、なんて言って笑いをとってましたが)。僕が思い出したのが、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」でした。つまり、これらもユーモアの例というか、別の視点で物事をみることができたことで現実を乗り越える例なんだなと理解しました。
●セレンディピティのお話
まずはこの言葉自体の話として、オードリーヘップバーンの映画「パリで一緒に」の話。タイピストのオードリーがセレンディピティという言葉を知っているかと聞かれ知らないと答えた、そのぐらいこの言葉はタイピストでさえも知らないといっちゃうような言葉だった。この言葉は、ノーベル賞をとった科学者の話でも使用されて(鈴木章さん==>田中耕一さん)、研究者のなかでもセレンディピティに会う人と会わない人がいるらしく、そういう一時期「垂直思考」「水平思考」と言われたような、どうすればセレンディピティに会えるのかという研究もあるそうです。阿刀田さんがおっしゃるには、偶然に対して準備ができている人がセレンディピティに会えるのではということをお話されていました。例えば研究者で、テストで毎回100点の人と98点の人では、100点の人はまっすぐに勉強していてそれはそれでいいのだが、98点の人は他のことを考えていてミスして100点が取れていない分、実は研究者としてセレンディピティに会えるのは後者なんじゃないか、と(60点とか70点の人は論外だけど。。。と笑いをとってましたが)。あと、セレンディピティと「たなぼた」の違いとか(セレンディピティは努力ありき)。
というわけで、悲しい出来事に埋没しがちな僕にとっては、自分を見直すいいきっかけになりました。
ひとつ思い出したのが、古谷実の名作「僕といっしょ」でのお兄ちゃんの現実逃避する場面で、
お兄ちゃんが現実を無理矢理ちっぽけに考えることに対して、弟が「お任ちゃん(現実を)とばした!」とツッコミを入れているんですね。安易な現実逃避に対するするどい指摘。。。これもまたユーモアだな〜と思いました。